平成24年度 随聞会

講師:前大本山総持寺後堂・栃木県満福寺ご住職 盛田正孝老師
演題:「現代僧侶 〜その役割と課題〜」
会場:歓喜寺様(秋田市)
日程:
11月26日午後1時受付、1時半開講式、14時〜17時講義
11月27日午前9時〜11時半講義

今年度の随聞会が歓喜寺様を会場に、上記の日程にて行われました。風が強く、またこの季節初めての本格的な雪が舞う中、60名程の参加者が集まりました。
講師は今年の2月まで大本山総持寺において後堂をおつとめになられていた盛田正孝老師。総持寺で一緒に修行された会員も多数参加し、老師の穏やかでありながら朗々としたお声のご講義を静かに拝聴しました。尚、本講義は例年の如く塔袈裟威儀の本講形式にて行われました。

1開講式

2盛田正孝老師

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・寺に生まれた僧侶の、在家出身僧侶の発心に代わるものは僧侶としての”使命感”である。僧侶として頂いた”命”を、何の為にどのように使うかが大事。
・師匠と同じ道を歩んだ経験ののち、初めて師匠を理解することができるものである。師匠、祖師方と同じ一つの道を歩むということが仏教である。
・坐禅をするから禅宗であり、禅僧である。自分が禅僧であるとはっきり言えるように。
・これだけはしない、これだけはする、という自分との約束を持つということが戒。戒があってこそ反省し、懺悔に繋がる。
・自己を見極め、自己の脚下を照顧することが坐禅である。教えを自分のこととして引き寄せて参究しなくてはならない。行ずることを通して真実を生きる。
・お檀家さんの葬儀の際、葬式、授戒の意味をしっかり伝えてあげること。授戒を受け戒名を頂けば成仏である。一歩目でも一万歩目でも仏道。身内の死は自分の死として引き寄せて考えることができる唯一の死である。

『随聞会感想』 小嶋良晃 兄

随聞会に参加し、盛田正孝講師による「現代僧侶ーその役割と課題ー」という講義を受け、現代における僧侶の有り様について多くの見識を得ることが出来、また大変考えさせられる機会になったと思います。
盛田講師は講義の中で、曹洞宗の僧侶を僧侶たらしめるのは只管打坐による坐禅があってこそだと述べていました。
しかし同時に、今日までの曹洞宗の拡大は、坐禅によってでは無いということも述べられました。それはそもそも日本に宗教教育というものがなく、寺に関わるものとしても、僧侶であること、また檀信徒であることが仏教者として非常に曖昧であるからということです。
宗教とは自分の意志と考えで選ぶものであるが、自ら発心を起こして得度した在家者は別として、寺に生まれたがために僧侶になったというものがまた多く存在するということも理由の一つとされました。
私自身もまた寺に生まれた者であり、発心という過程を経ずに得度をし、仏教を学ぶために大学に通い、そして僧侶としての修行を経て実家である自坊へと戻りました。
そしてその過程を通る中で胸にあったのは、仏教に対する信仰の想いというわけではなく、寺に生まれたということによる義務感と、子供の頃より良くして頂いた檀家の方々の期待に応えたいという想いでした。
盛田講師は、在家者の発心に相対する切っ掛けが寺の子にあるならば、こうした「期待に応えたい」という想いから、そこに価値を見いだすのが大切だと仰られていました。
私たちの身近にある仏教は、お釈迦様が坐禅によって成道され生まれたものであり、それが永い年月と遥かな距離を超えて人から人へ、口伝から様々な形を取って伝えられてきたものだと言われています。
そこにはまた様々な師や弟子・檀信徒という関係があり、それらの縁が繋がって今日の曹洞宗という宗派があるのだと思います。
私は、本日の盛田講師による講義を通しまして、改めて自分がそうした仏教教義による深い繋がりの中にあることを認識しました。
宗教意識の薄いと言われている現代において、私はまた曹洞宗僧侶の一員として、連綿として受け継がれてきた繋がりによる教化布教に携わり、今より更に尽力出来たらと思います。