岩手県山田町 傾聴ボランティア(行茶)活動報告 12日

新川師報告

12日は鹿児島・熊本・長野の曹青会員共々、秋田からの佐藤善廣師と私の7名で活動して参りました。

山田町の様子
山田町の様子

この日は町内最大級の避難所である山田高校へ。
避難者の在籍数は500名を越えますが、日中は第一・第二体育館にそれぞれ100名・40名程度がおられ、コーヒー・緑茶・ホットカルピス・ホットレモンにお菓子(上小阿仁・福昌寺様提供の山吹饅頭100個や鹿角市・恩徳寺様提供のもろこし沢山等)、また小袋に分けた“いぶりがっこ”をサービス。
「がっこ茶っこ」とは言わぬとも、当地でも漬物をお茶うけに井戸端会議の風習があるらしく、思いのほかいぶりがっこはウケました。
インフルエンザ流行のため、格技場がいわば“延寿堂”状態で、そこは立ち入り禁止。十数人が休んでいるとのこと。

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“秋田色”満載のお茶うけ

規模も大きく、多少人の出入りもあるだろうということで、午後も同高校へ。当方が用意したテーブルに、お茶やコーヒーを自ら受取りに来られる方ばかりとも限らないので、コーヒーポットとお盆に砂糖・ミルク等を乗せての“出前サービス”。
喫煙所でワンカップをあおる中年男性、聞くと漁師さんで船は流され、ホタテやカキの養殖場も壊滅、一日5本のカップ酒がないと眠れないとのこと。といっても泥酔というわけでもなく受け答えは至ってしっかりしており、「一日も早く漁に出たい」「海は見るのも嫌だという被災者の方もいますが…」との問いには、「そんなことはない。秋田でもどこでも漁ができるなら行ってみたい」。
津波の被害に加えて原発の影響を考えると、今後同地で漁業が再開できる見通しが立たない今、そういう方々を秋田の沿岸地方に最初は短期のホームステイ的に受け入れ、地元の方々と交流できないか、といったアイデアが浮かぶ。
もっとも、秋田の漁業だって必ずしも景気がいいとはいえないが…。

山田町では、応援部隊としての秋田県庁職員に度々遭遇。「私も秋田からです」なんて会話から、思いがけない深刻な話題に出会うことも。
避難所になっている学校の再開を考える時期につき、子ども達への給食はどうするのか、という差し迫った問題があるとのこと。
行政管轄の諸問題が山積していることを、ここでも痛感。

とりあえずの衣と食がどうにか満たされてくると、今後の生活再建や学校等の機能回復に見通しが立たない現状に、被災地は苛まれているのが今の現実ではないかと感じました。

この日、滋賀県からたこ焼きや焼きそばを提供に来ているNPOと懇談、被災者向けの提供も一段落し、コーヒーとたこ焼きの物々交換、被災者の前では食べづらいので、龍泉寺様までお持ち帰り。

夕方、もう一度山田町ボラセンへ。この日で交代要員と入れ替わり山田町を後にする福岡の防災士さんにもう一度面会。地元の龍泉寺様も同行し、“行茶活動”が全国の災害支援関係者に高評価をいただいていることに、感心されている様子。
すると、栃木から同町での活動に参加している桑原氏と偶然再会。彼は4年前の北秋田水害の際、阿仁前田に一ヶ月あまり滞在してくれた人で、ガテン系の作業にはノウハウも経験も豊富な頼もしい方です。
ここ数日、山田町や隣の大槌町で家の片付けや泥よせボランティアの、いわば現場リーダー役として請われて来ているらしく、これまでの“戦友”達が今回もあちこちで奮闘していることで、元気をもらった気がします。

龍泉寺様に戻り、今日の“ふり返り”。活動参加者で被災者の声を集約、災対本部への報告書作成(前述の通り、今後はボラセン宛に提出の予定)。
当方は3日間の食事を用意していたのだが、夕食は三重から度々来訪の鬼頭師によるカレーライスを、ご好意に甘えてごちそうになる。

夜には上記の参加者共に、龍泉寺様の座敷を埋め尽くしている物資の仕分けと今後の活動用に各種書類フォーマットを整理し、就寝。